「持続可能」なウェルビーイングの実現に向けて ―社会学の視点で考える人間の幸せ

「持続可能」なウェルビーイングの実現に向けて ―社会学の視点で考える人間の幸せ

HRカンファレンス2023春では、弊社CHO丹羽真理が、各分野のスペシャリストをお招きしウェルビーイング経営について鼎談しました。その中のお一人、社会学がご専門の柴田悠先生(京都大学人間・環境学研究科 教授)には、ウェルビーイングに関して、子育て支援やEBPM(エビデンスに基づく政策立案)の観点でお話をいただきました。
今回のブログでは、柴田先生の専門領域や、現在の研究内容に関心を持たれた背景などについてご紹介します。

“持続可能性”がキーワード。社会科学者の立場から考えるウェルビーイングとは?

丹羽)
まず初めに、柴田先生のご専門やその進路を選ばれた背景について教えてください。

柴田)
人の幸せのあり方や苦しみとの付き合い方について関心が高まったのは、高校生の頃です。人の心そのものにアプローチすることはもちろんですが、社会が人の心に幸福をもたらす影響についてもっと知りたいと思うようになり、社会学の道へ進むことにしました。人間の思考や行動は、制度・政策・規則などの環境に大きく影響を受けます。そういった、よりマクロな視点から人の心を俯瞰した時に初めて見えてくる、一人でも多くの人が幸せになれるような社会のあり方、生き方、働き方などを研究し、政府に提言するのが私の今の仕事です。

丹羽)
先生のご関心に近い仕事として臨床心理士という選択肢もあった中で、なぜ研究者の道を選ばれたのですか?

柴田)
実は、臨床心理士を目指していた時期もありました。「幸福」は、人の心からアプローチする場合が多く、その代表例がまさに臨床心理士。実際に試験に向けて勉強もしていたのですが、ある時に、心理士として人と向き合いサポートするよりも、臨床心理そのもの(やり方やメカニズム)に自分の興味の矛先が向いていることに気がついたんです。元々物事を「考える」ことが好きな性分なのもあって、既存の方法論を見直したり、より良いセオリーを生み出したりしたいという思いが強かったため、研究者の道へ進むことを決心しました。

丹羽)
今は社会と個人の幸福感との関係性を着眼点として研究されているとのことですが、先生のご専門と心理学の立場とでは、幸福へのアプローチはどのように異なるのでしょうか。

柴田)
心理学者は「個人」の幸福感にフォーカスする一方で、社会学や経済学といった社会科学では、社会の持続可能性が研究の条件に加わります。社会の構造やシステムなどと人々の幸福感との関係性を中長期的な視点で包括的に考えていくという点が最大の違いです。主な提案先である政府や、それを支える政治家・官僚・有権者に対して、国民の幸福感を上げるだけでなく、さらにそれを維持しやすい制度・政策の提案を行うことが、社会科学者としての私のミッションと言えます。限られた利益や予算の中で個人の幸福の最大化を目指すという意味では、企業におけるウェルビーイング経営との共通項もあります。例えば、国の現金給付政策と、企業のボーナス増額施策。国民・社員それぞれの幸福感を高めるために、お金を撒く、支給額を上げるという手段がこれにあたるわけですが、効果は一時的に過ぎません。この効果を中長期的に維持し続けるために、根本的な因果関係を見つけ、解決策を生み出す社会科学的な研究は企業にとっても重要であると思います。

“親ペナルティー”から脱却できない日本の労働システム

丹羽)
最近は、少子化問題について機運が高まってきているように感じます。女性活躍や働く環境の整備といった「労働の生産性向上」という局面で、日本がおかれている状況と先生のお考えを教えてください。

柴田)
これまでの日本の労働システムは、女性にとって大きな足枷となっていました。例えば、同等の能力のある男女がいたとして、どちらを昇進させるかとなれば、男性が優遇される社会だったわけです。しかしながら、労働市場の生産性を高めるためには、男女関係なく「優秀な人材」を採用することが必須条件となります。無条件に優遇されてきた男性と、女性が同じ土俵に立つためには、男女が同等に家事・育児と仕事を両立・分担できる社会をつくることが大前提。最初の一手としては保育の充実が挙げられます。私が行ったOECDデータの分析では、保育が充実すれば女性の労働力が高まり、さらに一人当たりのGDP増も期待できるということが明らかになっています。昨今の日本では、保育環境についてはかなり改善され、待機児童がほとんどいない状況になっているので、次のステップとして、働き方のDXや柔軟化を実現すべきフェーズにあると言えるでしょう。ジェンダー平等については今でも課題は山積していますが、企業には、性別に関係なく「人材をより公正に評価する」ことを意識し、そのための環境整備を進めていただきたいです。

丹羽)
女性の社会進出をサポートすることが優秀な人材の確保に繋がり、結果として労働生産性向上を実現できるということがよくわかりました。家事・育児と仕事の両立は、女性に限った話ではないと思いますが、働く人のウェルビーイングとどのように結びつくのでしょうか。

柴田)
家事・育児を含む私生活と仕事の両立が成立している国では、幸福感が高くなるということが証明されています。親であるだけで被ってしまう社会的な不利益を、社会学では「親ペナルティー」と呼びますが、「親ペナルティー」がないと言われるフランスや北欧といった国では、実際に幸福感が高くなっています。

具体的には、フレックスタイムやテレワークの利用促進、有給休暇や育児休業の取得促進、副業従事の許容などの仕組みが、みんなが働きやすくて生きやすい社会を実現していると考えられます。多様な生活を認め、働く人を守る仕組みが当たり前に用意・利用されている国がある一方で、そういったシステムがうまく機能していないのが日本やアメリカ。労働と天秤にかけた時に育児が犠牲になりやすいため、特に子どもを持つ人の幸福感が下がってしまいます。これが「親ペナルティー」と呼ばれる所以です。日本では、拓殖大学の佐藤一磨先生の研究で、有配偶女性が子どもをもつと、夫婦関係や消費生活が悪化することで、幸福感が下がってしまうことが明らかになっています。

年代別調査で見えてきた!幼児期でのアプローチと未来の幸福感との関連性

丹羽)
柴田先生が現在研究されている内容を教えてください。

柴田)
これまでの話と比較するとよりミクロな視点になりますが、0~2歳時の保育・教育環境と、個人の中長期的なウェルビーイングとの関連について研究しています。私が参加している「生涯学」のプロジェクトで行った全国調査では、幼児期に受ける支援が、将来のウェルビーイングに影響しうることがわかりました。具体的には、0~2歳の時に1年以上保育に通った30代男女において、女性は自殺念慮が減り、男性は心理的な孤立が減ったという結果が得られました。この結果はまだ査読誌に載っていないため不確実な部分も多いですが、幼児期に獲得した社会的能力や基礎的言語能力の向上が起因していると解釈しています。他にも日本では、2歳時の保育所通園が親の虐待行動を減らしたり子どもの発達を良好にするという既存研究もあるため、保育の空き定員を利用して、親の就労状況にかかわらず1~2歳児保育を利用できるようにするように、政府に提案しています。一昔前の価値観だと、乳幼児を保育園に預けることに抵抗感を持つ人も多かったでしょうが、社会的なかかわりや体験を幅広く持った方が、子ども本人の発達に良い影響がありうるということが周知されるといいなと思います。

丹羽)
幼児期での外部からの働きかけがウェルビーイングの根幹を形成しうるということは非常に興味深いです。ところで、先日、新聞に掲載されていた先生の寄稿タイトルが「人生は波乱、苦難、そして成熟」でした。これは、具体的にどういう意味ですか。

柴田)
こちらも先ほど言及した調査に基づいた記事です。幸福感を若年期・中年期・高齢期の年代別に分析したところ、「若年期で高く、中年期で低くなり、高齢期で再び高くなる」というU字カーブを描いていました。他方で、同じく年代別に心理的項目を見てみると、年齢が上がれば上がるほど、立場が上がってストレスが減るということも示されました。そのため、若年期は幸せだけどストレスが高く波乱万丈、中年期は背負うものが多く大変、そして高齢期は安定的で成熟しているという年代別の状況を表現した言葉が「波乱、苦難、成熟」です。日本では、高齢者の社会的孤立が問題視される傾向にありますが、実はこの年代層が最もストレスが少なくて幸福な人が多く、もっと社会が注目すべき年代は、立場が弱くストレスの高い若年層と、仕事や育児などで忙しく幸福感が低い中年層ではないかという問いかけで結んでいます。

丹羽)
企業においてもやはり中年層の幸福感がもっとも低い結果となっているのでしょうか。

柴田)
そうかもしれないですね。こればかりは日本の社会構造的に致し方のないことだと思います。仕事や育児の負担が大きいことや、職場や社会での立場がまだ中間的ということが、原因としては考えられそうです。働き方の柔軟化や、育児・教育の負担軽減、職場・社会での権威主義の軽減などが有効でしょう。

様々な場面における人間関係がもたらすウェルビーイングへの影響

柴田)
幸せの起点は人間関係であることは言わずもがなです。私自身、「どういった人間関係が人に幸せをもたらすのか」という疑問が今の研究の出発点でした。人間関係の側面からウェルビーイングにアプローチしていた当時、友人とのコミュニケーションと幸福感との関連を研究したことがあります。移動手段や通信状況に乏しい途上国では遠方にいる友人の割合が幸福感に結びつく一方で、先進国では近場ですぐに・偶然に会える友人の割合が高い方が幸福感が高くなるという結果が出ました。これは、対面でのコミュニケーションの重要性を物語っています。昨今、オンラインやリモートで仕事やプライベートでの関わりを済ませられるようになり、仕事の柔軟化などの良い面ももちろんありますが、やはりオフラインで会うことも人間関係の深まりや幸福感においては重要です。

丹羽)
仕事における幸せだけを考えると行き詰まる一方で、人生における幸せを追求しすぎると変数や側面が多くなり企業としては収集がつかなくなっていく場合が多いと感じます。先生は、仕事と人生は別物として考えるべきだとお考えですか?

柴田)
切り分けと干渉が難しいですよね。仕事だからと言って人間関係を希薄にしていいわけでもないですし、逆にウェットな関係性を優先しすぎて非効率になってしまってもダメですし。程よい距離感での人間関係をバランスよく維持することがウェルビーイング実現の鍵となると思います。

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